浅井隆とはどんな自分なのか、評判などを調査してみました。どんな人物か少しでも経済に興味を持っている方であれば、一度は「第二海援隊」や「浅井隆」というキーワードを聞いたことがあると思います。しかし、中には第二海援隊や浅井隆について聞いたことはあるけれど、どんな会社でどんな人物なのかわからないという人も多いのではないでしょうか。では、今回は株式会社第二海援隊の社長であり、経済を中心に数々の著書を書いている経済ジャーナリストでもある浅井隆という人物について紹介させていただきます。
浅井隆のプロフィール
浅井隆(あさい たかし)は、1954年に東京都で生まれた日本の経済ジャーナリスト、経済評論家であり、株式会社第二海援隊の代表取締役社長を務める人物です。高校時代には理工系を志望していましたが、早稲田大学経済学部に進学。在学中には環境問題研究会を主宰、勉学に勤しむ傍ら学習塾を経営していました。
約半年間の海外放浪生活の後、大学を中退して報道カメラマンとして毎日新聞へ入社。1993年発刊の著書「大不況サバイバル読本―’95年から始まる“危機”を生き残るために」が数十万部のベストセラーになったことを機に、1994年に独立して個人事務所である浅井隆事務所を設立。1996年には情報商社である「第二海援隊」を設立し、2005年には日本改革・再生を目的とした「再生日本21」を立ち上げました。
第二海援隊を設立した経緯
浅井隆が第二海援隊を設立しようとしたきっかけとしてはいくつか要因があります。
学生時代に読んだ著書に感銘を受けた
浅井隆は学生時代、1972年に発刊の「成長の限界」という本に出合いました。本の内容は、「このまま経済発展が進むと、人口増加、資源の枯渇、環境悪化で人類や地球は破滅へ向かうだろう」といったものでした。この問題解決こそが人生の課題だと感じ、第二海援隊の設立へとつながっていきます。
長崎の旅行で出会った人物からの影響
浅井隆は学生時代に核問題へ関心を持っていたことから、夏休みを利用して長崎県へと旅行に向かいました。長崎の小さな図書館で、一人の館員と出会いました。その人物は、自宅へ泊まるように浅井隆に勧め、そこで歴史や人物観について一晩中語り合ったことと、その家には10数人の若者がいて、議論が交わされていたことが浅井にとって刺激となりました。
また、その人物から坂本龍馬の生き様を聞きほれ込んだことで、本当の日本を救う会社を作るという意味で「第二海援隊」という社名の会社を設立するに至りました。
ネット上での評判・口コミなど
では、浅井隆のネット上の評判や口コミはどのようになっているのでしょうか?
ポジティブな評判・口コミ
まずは、ポジティブな評判や口コミについていくつか紹介させていただきます。
- 第二海援隊という社名が素晴らしいしセンスを感じる
- いつか訪れることになる国家破産への主張や対応策というのは一貫性があってブレていない。それは素晴らしいことだと思う。
- 将来何が起きても困らないように、浅井隆が出版しているような本を読んで万が一の事態に備えておくことも大切
ネガティブな評判・口コミ
では、ネガティブな評判や口コミについていくつか紹介させていただきます。
- 浅井隆の理論はそもそも資本主義経済とは何かといったことや、通貨のことは無視している!
- 浅井隆の理論を理解しようとすれば、それだけで膨大なお金が必要になるとは思う。
- 「日本経済破綻」と言った言葉を使って国民の不安を煽っているが、一体いつになったら破綻するのか教えてほしい
- 浅井隆の予想はほとんどが当たっているのか判断しにくい。実際経済についてどの程度権威があるのだろうか。
まとめ
いかがだったでしょうか。例えば芸能人を見ていればわかるように、浅井隆は有名人なのでどうしても批判を受けることが多いと言えます。しかし、それは同時にいかに注目されているかという証明でもあるのです。
では、最後にこれまで述べてきたことを以下にまとめさせていただきます。
- 1954年、東京都に生まれる
- 「成長の限界」という本に感銘を受け、人生の課題という使命感を抱く
- 高校時代から志望していた理工系への進学を止め、早稲田大学経済学部に入学
- 長崎旅行中に出会った人物から教わった坂本龍馬の影響で、社名を「第二海援隊」とする
- 早稲田大学を中退、報道カメラマンとして毎日新聞社へ入社
- 1993年、自身が執筆した著書「大不況サバイバル読本―’95年から始まる“危機”を生き残るために」が十数万部のベストセラー
- 独立を決意し、毎日新聞社を退社
- 1994年、個人事務所である「浅井隆事務所」を設立
- 1996年、従来にない形態の総合情報商社「株式会社第二海援隊」を設立
- 2005年、日本を改革・再生することを唯一の事業目的とした「株式会社再生日本21」を設立